史上最悪の教皇と言われ、海外ドラマにもなったボルジア家の法王ロドリーゴ・ボルジア(アレクサンデル6世―第214代ローマ教皇 1492~1503年)
しかし、ロドリーゴ・ボルジアにまつわる書籍を通じて散見される書簡等、実際に歴史的に遺っているものから察するに、“最も肉的なキリスト”といわれるほど堕落した悪人だとは、私は感じません。
なぜなら、ボルジア家の悪行の代名詞と言われる金権政治やネポティズム(縁故主義)も、教会勢力が風前の灯だったロドリーゴ・ボルジア以前の中世の混沌時代に、それをやっていない法王を探す方が大変だし、近親相姦というのも書簡等には遺っておらず、面白おかしいゴシップ噂ネタでしかないようで、それだけ家族愛が強かったと考えるのが筋と思います。
逆に、近代になってから「カトリックの秩序維持に腐心した」、「破産状態だったバチカンの財政を建て直して、無法地帯だった教皇領の治安や秩序の回復をした」、「フランスやスペインといった大国の浸食の危機を乗り切ったバランスのとれた政治家である」等々、ロドリーゴ・ボルジアの評価は高まっているようです。
私が、ロドリーゴ・ボルジアにまつわる物語や書籍を読み漁って、点と点を結びつけてみた結果、意外な人物像が浮かび上がってきました。
- キリスト教界のトップに君臨(当時は大航海時代であり、教皇子午線などを引くなど当時の世界最強権力者)
- イスラム教トルコのジェーム王子をバチカンに預かる(天井画にも登場させる)
- ユダヤ教徒を「イエスを輩出した民族」ということで、後にも先にも初めて、教皇領バチカンに受け入れた
- ギリシャ神話(ゼウス)を子供たちに聞かせた
- エジプト神話のイシス神とオシリス神の天井画を描かせた
- ヘルメス文書をバチカンに初めて入れた
- ボルジア家の紋章の牛は、オシリス神とされている
ボルジアにまつわる本は、あくまでもフィクションや創作も混じったものも多くあり、すべてが正しくはないかもしれませんが、ロドリーゴ・ボルジアは、キリスト教に収まりきらず、さらに高次な世界宗教を求めていたように思えてなりません。
私も、2015年4月20日~23日まで、イタリアのローマに行き、実際にヴァチカンに現存する「ボルジアの間」に行き、上記の痕跡と思われるものを実際にこの目で見てきました。
「ボルジアの間」を外観から見てみましょう。
ここは、世界遺産に登録された世界最小の国、ヴァチカン市国。
現在見られる大聖堂の建設は、1499年に教皇アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)がサン・ピエトロ大聖堂の改築を思い立ち、1505年の秋頃に 教皇ユリウス2世によって改築の決定が行われたことによって始まりました。
着工は1506年~竣工が1626年なので、ロドリーゴ・ボルジアの遺志を継いで建設開始し、120年間かかって完成したそうです。
目の前に見えるサン・ピエトロ大聖堂の右手に、システィーナ礼拝堂とヴァチカン美術館が併設されています。
この八角楕円形の広場は、バロックの巨匠ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini,1598年-1680年)により設計されたものです。
サン・ピエトロ大聖堂の屋根まで「エレベーターで、7ユーロ」となってたので、甘く考えてエレベーターに乗りました。ところが、ここまで登るのに、さらに狭く永遠と続く過酷な数百段の階段登りを経験しました^^
大聖堂から見て、サン・ピエトロ広場の左側にヴァチカン美術館はあります。
中央手前に茶色と黄色の壁がある長方形の建物が「システィーナ礼拝堂」、その先に一番高い塔の部分がボルジアの塔。
屋根が茶色い部分が「ボルジアの間」と「ラファエロの間」がある棟。詳しくはこちら。
それではヴァチカン美術館に入ります。
ヴァチカン美術館の入場券は、日本で事前にインターネットで購入をしました。
もし購入していなかったら、ヴァチカン市国の壁伝いに並んでいた当日券を求める大行列に並ぶことになり、数時間をムダにするところでした。
事前購入者は一切並ばず、メールで届いた予約バウチャー(証書)をスマホで見せて、あっという間に入場できます。
さて、いよいよ「ボルジアの間」に入ります。
ロドリーゴ・ボルジアのお気に入りの画家はピントゥリッキオで、「ボルジアの間」の壁画・天井画のほとんどが、ピントゥリッキオの手によるものだそうです。
『哲学者たちと論争する聖カタリナ』 この壁画の聖カタリナのモデルになっているのが、ロドリーゴ・ボルジアの愛娘ルクレツィア・ボルジア。左の椅子に座っているのがニッコロ・マキャヴェッリの『君主論』のモデルとなったロドリーゴの息子で、ルクレツィアの兄であるチェザーレ・ボルジア。そして、その二人の兄妹の間に中東風ターバンを巻いているのが、ジェーム王子と言われています。
通説では、ジェーム王子はボルジアに人質として捕らえられていただの、ボルジアの身代金目当てだのいろいろ言われていますが、壁画にまで登場させるほどなのは、ロドリーゴ・ボルジアがジェーム王子を家族兄弟同然に接していた証拠ではないでしょうか。
教皇(アレクサンデル6世)は、(中略)すぐにルネサンスの有名画家ピントゥリッキオを呼んで、教皇庁のボルジアの間の天井に、ヘルメス・トリスメギストスからの場面や、エジプトの女神イシス、オシリスの聖牛アピス(古代アレクサンドリアのギリシャ・エジプト融合神である牛神セラピス)の絵を描かせている。
― 『タリズマン〈上〉―秘められた知識の系譜』 グラハム ハンコック
『哲学者たちと論争する聖カタリナ』の天井部分に位置するブルーの絵画こそ、エジプトのイシスとオシリス神話の場面だそうです。
部屋の手前半分にオシリスが生存した時の「オシリス神とイシス神の結婚」を描き、部屋の奥半分が、オシリスが殺された後、イシスがオシリスの身体を再構成して、「オシリスが金のアピス牛として復活」した場面を描いています。
このことは、イタリア語版Wiki「ボルジアの間」に詳しく書かれています。
「オシリス神とイシス神の結婚」
![]() episodi del mito di iside e osiride―Pinturicchio (1454-1513)/Photo by ©HIDEKI KIYOTA |
「オシリスが金のアピス牛として復活」
![]() episodi del mito di iside e osiride―Pinturicchio (1454-1513)/Photo by ©HIDEKI KIYOTA |
そこで、私は金のアピス牛を見た時に、正直「あれっ?」と思いました。

Seconda volta della Sala dei Santi―Pinturicchio (1454-1513)/Photo by ©HIDEKI KIYOTA
なぜなら、キリスト教カトリックの聖典には、『新約聖書』だけではなく『旧約聖書』も入っていて、その『旧約聖書』の中にある「出エジプト記」には、こういうエピソード(The Golden Calf)が入っているからです。
モーセが、神から授かった有名な十戒の石板を持ってシナイ山から降りてきた時、下で待ちくたびれた民たちが「金の子牛」を勝手に作ってお祭り騒ぎしていました。そこで「主」は怒り、モーセも怒り狂って「金の子牛」を燃やし、粉々に砕き、水の上に撒き散らしてイスラエルの民たちに飲ませました。
そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。
「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました!
自分たちのために金の神を作ったのです。・・・」―『旧約聖書』 出エジプト記 32章31節
So Moses went back to the LOAD and said,
“Oh, what a great sin these people have committed!
They have made themselves gods of gold.”– The Old Testament, Exodus 32: 31
モーセを神とする『旧約聖書』では、これだけ偶像崇拝は大罪とされています。
このために、『旧約聖書』を主なる聖典とするユダヤ教には祈る対象物がなく、イスラエルの嘆きの壁などで祈ります。私も、アメリカの空港などで、黒ずくめで帽子をかぶったユダヤ教徒が空港の壁に向かってお祈りする場面をたくさん見ました。
片や、キリスト教では信仰の対象はイエス・キリストであり、イエスが磔になった十字架が崇拝の対象となっているため、『旧約聖書』で禁じている偶像崇拝を、完全肯定できないことは分かるものの、あえて「金の牛」を天井画に遺すキリスト教会のトップ(法王)というのも、不思議な感じがしました。
しかし、『旧約聖書』の記述で「主」とあっても、生贄を喜ばない方の「愛の神エローヒム」の言葉があったり、一方で契約違反する者を殺せという方の「祟り神ヤハウェ」の言葉とが、ごっちゃになっています。
おそらく、ロドリーゴ・ボルジアは、金の牛を壊させた「主」というのは「祟り神」の方であったと判断して、ボルジア家の紋章にも入っている、オシリス神が復活した姿である「金の牛」を、平然とピントゥリッキオに描かせたのかもしれません。
さらに、この部屋の天井の中央中心部分に、イシスとオシリス神のシーンが、八角形の中に描かれています。
天井中央の3つの八角形の内、
【中央】オシリス神とイシス神
【右側】オシリス神(牛もいる)とイシス神
後世のヴァチカンの教皇がミケランジェロやラファエロなどに描かせたモチーフは、キリスト教の『新約聖書』や『旧約聖書』にまつわる絵画がほとんど。
もちろん、ボルジアの間も、基本は「受胎告知」や「ゴリアテの首を踏むダビデ」など、『新約聖書』や『旧約聖書』をモチーフにした天井画、壁画も遺っていますが、エジプト神話の神などを壁画にして後世に遺した法王は、なかなかいないんじゃないでしょうか。
アレクサンデルは前任者と違って、魔法やカバラやヘルメス思想に抵抗がなく、好意的とさえいえた。
(中略)
突然、ごく短期間だが、ヴァティカンの扉に裂け目が生じた。その裂け目から、夜の盗人のようにこっそりと、だが確実に、「エジプトの賢者」ヘルメス・トリスメギストスの叡智と魔術が、教皇庁に入り込んだ・・・・・。
― 『タリズマン〈上〉―秘められた知識の系譜』 グラハム ハンコック
(教皇アレクサンデル6世がボルジアの間に描かせた)場面の一つは明らかに、『アスクレピオス(ヘルメスの著作とされる)』に登場するヘルメスの「自然」魔術あるいは「星」魔術の寓話となっている。そこに描かれているのは、大きな天球の下に立つヘルメス・トリスメギストスで、頭上には大きな星が一つ吊り下げられている。うやうやしく周囲に立ち、教えを受けているように見える賢そうな男たちは、おそらく古典時代の哲学者だろう。
― 『タリズマン〈上〉―秘められた知識の系譜』 グラハム ハンコック
これこそ、まさにその「ヘルメス・トリスメギストス」の壁画です。

Astrology(Quadrivium)―Pinturicchio (1454-1513)/Photo by ©HIDEKI KIYOTA
異教やグノーシス派等を徹底的に異端排除してきたキリスト教カトリック総本山のまさに心臓部に、ヘルメス思想を現代にまでシレッと遺しているロドリーゴ・ボルジアとはいったい何者でしょうか。レオナルド・ダ・ヴィンチも、一時期ボルジア家の仕事をしていたこともあるので、「ダビンチ・コード」ならぬ、「ボルジア・コード」は、まだまだ出てきそうです。
ギリシャ神話に、ゼウスが妻ヘラの激怒の恐怖から、浮気相手のイオを牛に変えてしまったという物語があり、ヘルメスに助けてもらって、イオはエジプトの女神イシスになったと伝えられています。
ギリシャ神話は、年代も、エジプト、ギリシャなどの場所の関連性もごっちゃになっているように思いますが、明らかにエジプト、ギリシャ、ローマと流れてきた文明の痕跡が、こうした物語にかすかに遺っているのだと思います。
そういえば、仏教の開祖ゴータマ・シッダールタの名前の意味も「目的を達成した最上の牛」であるので、牛というのは神聖な神々を象徴していますね。
これだけの痕跡を残していること自体、ロドリーゴ・ボルジアという人物が、キリスト教カトリックの一法王という立場に収まりきらないものを感じさせます。そして、宗教的にもこんなバランスのとれた幅広い地球的視野の法王は、おそらく歴史上ロドリーゴ・ボルジア以外にはいないように思います。
ロドリーゴ・ボルジアはキリスト教界のトップでありながら、「聖書に全く関心がなかった」という同時代人の証言があるそうですが、古今東西の神話や宗教に通じていた博識なロドリーゴ・ボルジアが、イエスのさらに上の「 イエスの父 ※」を見ていたと考えれば、これらの痕跡を遺した謎にも、理屈が通ります。
※ 「イエスの父」・・・以下、イエスの語った言葉から
“わたしは、自分から話したのではありません。 わたしを遣わした父ご自身 が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。
わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、 父 がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです”―『新約聖書』 ヨハネの福音書 第12章 49-50
“For I have not spoken on My own authority; but the Father who sent Me gave Me a command, what I should say and what I should speak.
And I know that His command is everlasting life. Therefore, whatever I speak, just as the Father has told Me, so I speak.”
– The New Testament JOHN 12:49-50
その求めていた「イエスの父」というのが、じつは、ロドリーゴ・ボルジア本人が知ってか知らずか、ボルジアの間にピントリッキオに描かせていた、アトランティスのトス神であり、エジプトのオシリス神であり、ギリシャのヘルメス神であり、仏教の仏陀であり、さらにその本体である意識が地球神エル・カンターレとして、現代の日本に大川隆法総裁として生まれていることが、人類史上初めて明かされました。
そして、地球の至高神エル・カンターレとは、キリスト教では「イエスの父」、ユダヤ教では「エローヒム」、イスラム教では「アラー」、仏教では「大盧遮那仏(宇宙仏・法身仏)」、日本神道では大宇宙神の天御祖神(アメミオヤノカミ)と呼ばれていた存在と、すべて同一の根源霊存在で、いままでの人類史に秘されていた、地球上のすべての神々を統べる至高神なのです。
その証拠に、大川隆法総裁が創設した宗教である「幸福の科学」は寛容な宗教であり、一神教のように他宗排撃をせず、改宗も強制的に求めていないため、古い宗教を持ったまま信仰を持つことが可能になっています。実際、キリスト教会の牧師や仏教の住職、日本神道の神官まで、旧宗教のプロフェッショナルのまま、幸福の科学の信仰を持っている人々も世界中に多数います。
これは宗教アレルギーの現代日本人には理解不能なことかもしれません。しかし、大川隆法総裁は1986年より現在まで世界人類の「幸福の原理」を説き続け、人間技では絶対不可能な数千冊の著作や霊言を出し続けており、こんな人間は有史以来、存在したことがありません。
現在、幸福の科学は、キリスト教国、イスラム教国、仏教国、さらには唯物論の国に至るまで、全世界100カ国以上に信者が増え続けていますので、後世になればなるほど、大川隆法総裁こそ、地上に降臨した至高神だとわかることでしょう。
至高の存在である「イエスの父」を求めていたであろうロドリーゴ・ボルジアも、もし現代に転生すれば、間違いなくエル・カンターレの教えの高さや崇高な存在感に気づき、きっとエル・カンターレの元に集うに違いありません。
もしかしたら、イエス・キリストの「復活」の場面のみにロドリーゴ・ボルジア本人を描かせているのも、オシリス神とトート神、ヘルメス神の化身である大川隆法総裁が降臨する現代に、時代を超えて “ボルジアの神秘” が「復活」することを願ったのかもしれません。
最後に、アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)から、娘のルクレツィアに宛てたと言われる手紙を引用します。
「私を汝の父で同時に愛人であるという者たちがいると?
放置せよ、ルクレツィア、世間などは放置せよ。
悪魔にも等しい滑稽なうじ虫共が、強い魂についておよそたわけた想像をすることなど、捨て置くべきである。
(中略)
・・・・・この世の大いなる掟は、あれこれをすることでもなければ、ある点を避け、他の点に向かって走ることでもない。
それは、生きることであり、成長することであり、自らの中にもつ、より精力的なもの、より大いなるものを発展させることである。そして、与えられた領域から、より大きな、より快い、より高い領域へと移るべくつねに努めることである。これを忘れてはならない。
前方に向かってまっすぐに歩め。
それが役立つという条件で、自分の心に適うことだけを行え。
ためらいや不安は、心小さき者ども、下層の者どもに委ねおくべし。
汝にふさわしい思いは一つあるのみである。
それは、ボルジア家の向上であり、汝自身の向上である。」
―『ボルジア家』 イヴァン・クルーラス
【参考書籍】
『神の代理人』 塩野七生 | |
『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』 塩野七生 | |
『ルネサンスの女たち』 塩野七生 | |
『ボルジア家』 イヴァン・クルーラス | |
『タリズマン〈上〉―秘められた知識の系譜』 グラハム ハンコック | |
『ザ・ファミリー』 マリオ プーヅォ |